就職活動が終わった
すごくお久しぶりです、ぱのこめです。
最近大学院の研究が楽しくて、時間があると、そのことばっかり考えてしまっています。
そのせいで、6月中に1回は絶対ブログを更新しようと思っていたのですが、ついに更新することなく7月を迎えてしまいました。
研究については、また日を改めて書こうと思います。
それよりも今回は、先日無事に終了した就活のことを書きたいと思って、久しぶりにブログを更新しました!
就活の最終的な結果と、就活を通じて思ったことについて書こうと思います。
◎最終的な結果
就職先は規模の大きめな機械系メーカーに決まりました。
実は4月の終わりの時点で既に内定を貰っていた会社なので、実質的には5月以降の就活はあまり意味がなかったことになります笑
文系総合職という形での採用なのでどんな仕事に就くか、どこに配属されるかはまだ分かっていません。
ですが、勤務地も職能もなるべく希望を聞いてくれる会社のようなので、今のところは東京配属で事業戦略系の職能を希望する予定です。
とは言っても、入社してすぐは多くの新入社員が地方の販売子会社で3年ほど現場の仕事をするっぽいので、数年間は東京を離れることになりそうです...
地方勤務になると東京にいる友達や彼氏と離れることになるので、それはすごく寂しいなって思います。
でもその一方で、新しい環境で生活することにワクワクしている自分もいます。
というのも、私は生まれてから今まで23年間ずっと実家で家族と暮らしていて、一人暮らしもしたことが無ければ、新しい地域で生活したこともありません。
昔からずっと一人暮らしはしてみたかったし、今までに会ったことのない人達と会える機会が増えるというのはすごく魅力的だなって思います。
もちろん、地方へ行くのは良いことばかりじゃなくて、例えば地方特有の不便さだったり、東京とは違った価値観に私が相容れない部分も出てくるんじゃないかなって気はしています。
でもまあ、地方といっても大きな都市(仙台とか広島とか)に配属予定なので、田舎特有の苦しみみたいなやつはあまり無いのかなって思っています。(もちろん、今の時点では何も分かりませんが...)
とりあえず、最初の数年間が上手くいくことを祈るばかりです笑
◎就職活動の感想
私は今まで結構流れに身を任せて生きてきたタイプの人間で、さらに、仕事に対しても特に強い希望や憧れがあるわけではありませんでした。
というか、今までの人生の中で大きな意思決定をした機会といえば進学くらいしかなくて、それも大まかな道筋は決まっていた(と思い込んでいた)ので、将来のことを真剣に考えるってことを全くしていませんでした。
なので、就職活動を通して真剣に「自分が将来どうありたいか」「未来の自分はどういう生活を送っていたいか」について考える必要がありました。
今まではそういう問いについて、あんまり深く考えてこなかった(というか、面倒くさいから考えるのを避けてきた)ので、就活中はいつもとは違う悩みに苛まれて少し疲れました。。
でも、いつかは考えないといけないことだったような気がするので、まあこの機会に何となくぼんやりと将来像が見えたのは良かったです。
あとは、改めて今後のこと(同棲や結婚も含めて)について、彼氏と話すキッカケになったのも良かったと思います。
私が東京で働き始めたら同棲するって話を結構前からしていたので、その約束を蹴って地方に行くのは申し訳ない気持ちでいっぱいです。。
でも、彼氏は今回の私の意思決定を後押ししてくれたし、彼なりに色々考えてくれたみたいなので、それはとても嬉しかったです。
とまあ、ここまで意識高い感じのことを書きましたが、ぶっちゃけてしまうと、就活を通じて分かったことは「未来のことなんてわからないし、今の時点で一生を決めるなんて無理!」ってことでした。
5年以上先のことなんて不確実性が高すぎて私には全然分からないし、ましてや、一生同じ会社で働くなんて今の段階では具体的にイメージできないなって思いました。
でもまあ、一応は働かないと食べていけないので、最終的には「これから3年間が楽しくなりそうな意思決定をしよう」って感じで今の会社に落ち着きました。
将来のことは未来の自分に丸投げする形になったので、また今回みたいに将来について悩む時期が訪れそうです。。
それだけは今から憂鬱ですが、たとえ一時的でも今はキャリアに関する悩みから解放されたので、それはほんと良かったです!
今回の意思決定が正しかったかどうかは神のみぞ知るって感じですが、入社後の私の努力で変わる部分も大いにあるとは思うので、運と実力半々くらいに考えて頑張ろうと思っています。
それでは、また。
今年の野郎フェスは5月26日(日)
どうも、ぱのこめです。
2019年5月26日(日)に横浜のみなとみらいで「野郎フェス」という同人誌即売会があります。
私は毎年運営スタッフとしてこのイベントに参加していて、今年も会場でスタッフをしている予定です(今年で5回目)。
今年で10周年を迎える野郎フェスを少しでも盛り上げたいと思うので、今日の記事ではイベントの宣伝をしようと思います。
興味のある方は、是非会場に足を運んでみて下さい!
◎野郎フェスについて
野郎フェスは、『野郎系(男子)が好きであるコト』であればどなたでもご参加いただける、自主出版した本やメディア等を発表、販売する同人誌即売会です。
男性キャラクター(ふたなり、女装、男の娘は含まず)を主体としたオリジナル創作作品、パロディ・二次創作作品が一同に集まります。
アナタが探し求めていた作品に出会えるそんな『場』を、新たな創作への刺激になれるそんな『場』を、ご提供できたら幸いです。
簡単に言うと、野郎フェスとは「男性キャラクターがメインのえっちな漫画や小説がたくさん売られているイベント」です。
TwitterとかPixivでえっちな作品を見るのが好きな方には、参加することをオススメします!
野郎フェスの日時、場所は以下の通りです。
・日時: 2019年5月26日(日)11:00〜15:00
・会場: 横浜産賀ホール マリネリア(横浜中華街や山下公園の近く)
・入場料: 1000円(カタログがついてくる)
野郎フェスは今年で開催10年目になりますが、毎年売り手も買い手も非常に多くの方が参加する、非常に活気のあるイベントです。
特に、「同人誌即売会に参加するのは初めてです」って人がたくさん参加する傾向にあります。
実際、コミックマーケット(通称コミケ)などの大規模すぎる同人誌即売会と比べると、事前の準備や対策は少なく済みます。
なので、個人的には初心者の方でも参加しやすいイベントになっていると思います!
もっと詳しく野郎フェスについて知りたい方は、去年私が書いた野郎フェスに関する記事もご覧ください。
◎初心者の方へのアドバイス
初心者の方へ向けて、野郎フェスに参加する時のアドバイスを少しだけ書こうと思います。
①入場時間について
今年の野郎フェスは9時から入場待ちが始まり、11時から開場の予定です。
入場待ちのイメージとしては、ディズニーランドに朝早く行って、開園前に入園ゲートで並んで待つ感じですね。
作品によっては販売部数が少なくて早い時間に無くなってしまうものもあるので、どうしても欲しい作品がある場合は9時から並ぶことも考える必要があるかもしれません。
ですが、初心者の方へは早くから並ぶことをあまりオススメしません。
というのも、開場してすぐの会場内は人が多すぎて、同人誌即売会に慣れていないとどこに行けば良いのかも分からず、途方に暮れてしまう可能性が高いからです。
11時に開場してから1時間くらいは混雑することが予想されるため、初心者の方は12時くらいから来ることをオススメします。
そうすれば、あまり混雑なく(それでも人はたくさんいると思うけど)会場内を見て回れると思います!
②年齢確認について
野郎フェスは18歳以上の人を対象にした成人向けイベントなので、入場のタイミングで年齢確認があります!
マジでめちゃくちゃ厳しくて、顔写真付きの身分証明証が無い人は入場することが出来ません。
毎年身分証明証がなくて入り口で止められる人がたくさんいるので、くれぐれも忘れずに持ってくるようにして下さい。
ネットで同人誌即売会について調べると、「小銭をたくさん用意してお釣りの無いようにする」などの独自のマナーやルールがたくさん出てくると思います。
しかし、個人的にはそういう細かいマナーは余裕のある人だけがやれば良いと思います。
初心者の人はとりあえず会場のルールを守ることと、良識的な行動を取ることだけ意識すれば、楽しくお買い物することが出来るんじゃないかなって思います。
この記事を読んで野郎フェスに興味を持っていただけたら、是非会場に足を運んでくれると嬉しいです。
あと、会場の近くには横浜中華街やみなとみらいなどの観光地もたくさんあるので、会場に来た際はついでに横浜観光もして行って下さい!
みなさんが自分好みのえっちな作品に出会えることを祈っています。
それでは、また。
就職活動が2ヶ月終わった感想
どうも、ぱのこめです。
4月に入ってから授業や就職活動が忙しくて、ブログを更新する余力がなかったため、久しぶりの更新になってしまいました。
今はゴールデンウィークに入って(授業はありますが)少し余裕ができたので、今日は私のこれまでの就職活動について書こうと思います。
3月に経団連加盟企業の採用活動が解禁となり、私の就職活動も同じタイミングで本格的にスタートとなりました。
ここまで2ヶ月ほど就職活動をしていましたが、卒論とか授業とか、色々やらないといけないことがあって、ブログでは就活についてほとんど書いていませんでした。
なので、今日は3月から4月の間の自分の就職活動を振り返ろうと思います。
◎志望の軸
簡単に、以下のような企業を受けています。
・前提
私の親がファミリー企業を経営していて、将来的にそれを継がないといけなかったり、継ぐことを意識した会社選びをしているということはありません。
めちゃくちゃ行きたい会社はありません。また、特定の業界に憧れを持っている(テレビ、商社、証券とか?)ってこともありません。
文系の4年制大学を卒業していて、就職時点では修士卒になる予定です。また、大学の専攻は経営学で、私自身も会社の経営に興味・関心があります。
・業界
主に最終製品(部品とか素材ではない)を作っているメーカーを見てます。
理由は、利益の稼ぎ方が自分の価値観に合っているから、製品の消費者・使用者に近い位置で働く方がモチベーション高く仕事が出来そうだから、などです。
具体的には、日用品や電機などの業界を見ています。
上記の業界から逸脱している企業(ITサービスとか)もボチボチ受けていますが、それについては以下の要素が満たされていて選んでいる場合が多いです。
・企業の風土
企業全体として「挑戦の気概」と「穏やかさ」を高い水準で両立出来ているところがいいなと思っています。
あと私は知性重視派なので、やる気と体力でゴリゴリ押していくマッチョな組織とかはあまり好みではありません。
さらに、企業理念としてダイバーシティ推進を掲げていたり、セクシュアルマイノリティに関する研修をしっかり行っている企業とかの方が良いなあとは思います。
でも、それは企業の外から(特に就活生から)見て完全に分かるものではないので、ほどほどにチェックしてるって感じです。
・職能
一応希望しているのは企画系です。商品企画、営業企画、経営企画などなど...
「新卒採用で企画志望とかナメてんのか!」って意見はめちゃくちゃ分かります。
実際、仕事の経験も無くて会社のことも業務のこともよく分かってない人が出来るような仕事じゃないってのも重々承知しています。
なので、よく面接で行う応答としては「長期的(といっても5年〜7年後くらい)には企画の仕事に携わりたいです、そのために入社してすぐは会社と業務について勉強します」的なことを言っています。
でも最近では、新卒で企画職を採用している(入社時点の職能が確定しているコース採用がある)企業も増えてきています。
そういう採用が出来るのって企業体力に余裕があったり、能力ない新卒を雇う≒教育するつもりがあるってシグナルでもあると思うので、そういうコース採用を行なっている企業は積極的に応募しています。
・会社の規模
規模に対してすごいこだわりがあるわけではありません。
しかし、「給料は多い方がいいなー」とか、「でもそんなにバリバリ働くのは嫌だなー」とかを考えていると、自然と大企業ばかり受けることになっていました。笑
中小企業の場合だと、検討する企業数も多くなるし、一般に獲得できる情報も少ないことから、情報探索のコストが高くなるのはすごくネックだなーって思います。
実際に私が受けている会社はの規模としては、売上高が2000億円〜うん兆円の会社かなって感じです。
・勤務地
就職活動の初期は勤務地に関してあまりこだわりはありませんでした。
正直、現代の日系大企業に文系総合職で入ると、半数くらいの人が一度は海外に行くことになると思うので、それを考えると日本国内のどこで働いてもいいかなって思っていました。
今もまあ、あんまり勤務地について強いこだわりがあるわけではありません。
でも、同じ志望度の会社が東京と別地域にあったら、多分東京の会社に行くかなって気がします笑
なので、勤務地は私にとって企業選びの重要なファクターではないけど、企業を比較するときには考慮する要素って感じです。
◎3月の振り返り
3月1日に経団連加盟企業の就職活動が解禁となり、それと同時に私の就職活動も始まりました。
それまでほとんど就職活動を行なっていなかったので、この時から企業を調べたり、業界を調べたりし始めた感じです。
3月の前半は主に企業の説明を聞いて、エントリーする企業のピックアップを行なっていました。
そして、3月の後半はエントリーシートの提出とwebテストの受験を行なっていました。
個人的には3月の後半がめちゃくちゃ大変でした...。
前の記事に書いた通り、私は3月の終わり頃まで卒業論文の執筆を行なっていたので、就職活動と並行してやらないといけませんでした。
エントリーシートやwebテストのスケジュールを確認しながら、無理やり時間を作って卒業論文を書いていたので、全然春休みって感じではありませんでした笑
◎4月の振り返り
エントリーシートの提出はほとんどの会社が3月末で終わったのですが、中には4月締め切りの会社もいくつかありました。
なので、4月の前半もエントリーシートを書いたりwebテストを受けたりしていました。
しかし、4月に入ってからいくつかの会社で面接や面談が始まり、そちらの活動がメインになっていきました。
面接は思っていたよりも緊張しないで取り組めたので良かったかなと思います。
というか、圧迫面接みたいなものをまだ受けたことがなくて、しっかり私の話を聞いてくれるタイプの面接が多かったので、運が良かったのもあるかなって思います。
面接は今まで4社やって、落ちたのが2社、内定が出たのが2社って感じです。
4月中に志望度が高めな会社から内定がもらえたのは精神的にも時間的にも良かったなと思います。
他が全部落ちたら行ってもいいかなって思える程度には志望度の高い会社から内定がもらえたので、それよりも低い志望度の会社は選考辞退しました。
なので、5月以降はまだ残っている3社だけに絞って活動することになりそうです。
3社とも志望度が高めな企業なので、しっかり時間をかけて調べて、悔いのない選択をしたいと思います。
◎現在の悩み
複数の企業から内定をもらった場合に、最後に入社する会社をどうやって選ぶのかについて悩んでいます。
人によっては贅沢な悩みのように思うかもしれませんが、どちらかというと、なあなあに就活をやってきた、いわゆる「自己分析」とかをちゃんと出来ていないツケのようなものの気がします。
人生における仕事の位置付けとか、将来の労働市場の状態とか、そもそも自分のやりたいこととか、そういう自分の価値観みたいなものを私はまだハッキリと認識することが出来ていません。
その結果、企業選びにも迷いが生じてしまっているような気がします。
なので、内定が出揃いそうな6月の頭までの残り1ヶ月である程度の答えが出れば良いなあと思っています。
◎就職活動の感想
まず、就職活動を始める前の私にとっての就活学生像は朝井リョウの『何者』の登場人物たちでした。
もちろん小説の登場人物なので、彼らは人間性が過剰に溢れすぎだとは思いますが、でも心の中でモヤモヤしたり葛藤みたいなものを抱えながら就活期を送るのかなと思っていました。
しかし蓋を開けてみると、私の場合は学業との両立が忙しすぎて、あんまり真剣に悩んだりする時間がなく、どちらかというと機械的に、作業的にスケジュールをこなしていく感じの就活になりました。
だから上記のような悩みが生じるのかもしれませんが...どちらが良かったかは分かりません。
あと、「就活は演技力、テクニックでなんとかなる」という言説がありますが、個人的には半信半疑って感じです。
やっぱり内実が伴ってなさそうな薄っぺらい発言だったり、就活テンプレ的な発言(バイトやインターンで売上あげました系)は、集団面接などで他人が言っているのを私が聞いていてもなんとなく不快に感じるので、採用担当者はもっと強く感じているのではないでしょうか。
私自身はほとんど嘘なく、事実ベースで話が出来ているので(セクマイ系の活動も含めて)、そういう意味では、面接自体はそこそこ知的な大人と色々なお話しができて楽しいなって思います。
ここまで就活に対するポジティブな感想ばかり言ってきましたが、実際のところ、私自身はやっぱり就職活動という行為そのものがあんまり好きではないなと思いました。
そのように思う大きな理由は、就職活動を通じて自分の人生の可能性が収束している感じを強く受けるからです。
私は小さい頃から勉強に精を出すタイプの人間でした。
なぜなら、私自身が新しい知識を得ることが好きだったというのに加えて、両親から言われていた「勉強すると将来の選択肢が増える(良い生活が出来る)」を信じていたからです。
つまり私はここまで23年間生きてきて、自分の可能性を広げる活動をし続けてきたということになります。
それに対して、就職活動というのは自分の未来を確定させる作業なので、どちらかというと選択肢を削っていく作業になります。
そして、そのように自分が持っていたもの(可能性)を消していくという作業が、私はとても苦痛だなと感じます。
大学の学部選びが可能性を最も狭める選択だったと言われれば確かにそうなんですけど、でもその時はまだ無自覚的だったのでこの苦しさはありませんでした。
しかし、今回はより明確に将来(今後の労働者としての人生)を意識して選択することになるので、なんだか憂鬱です。
まあでも、愚痴ばかり言っていてもしょうがないので、なるべく多くの情報を探索して、自分にとって最善の選択を出来るように頑張りたいと思います。
以上、長々と自分の就職活動について書きました。
幸運なことに、ここまでの就職活動は順調に進んでいるので、最後までこの調子でいけることを願っています。
あと1ヶ月で将来を確定させなきゃいけないのは少し荷が重いですが、「まあどうせ転職とかするだろうし〜」って感じで、ぼちぼち気楽に考えながら選択しようかなって思います。
まあ後は、ここに書いたことが「四月病」ならぬ「就活病」でないことを祈っています笑
多分、私の場合はそこまで意識高い感じではない(というか、以前からブレてはいない)と思いますが、この手の病に対して人は往々にして無自覚的なので、自分も罹っている可能性を忘れずに就活していきます。
それでは、また!
卒論執筆を終えてブログの課題を考える
どうも、ぱのこめです。
ついに卒業論文の執筆が終わりました。
執筆作業は長く辛い戦いになりました....。まさか3月の末までかかるなんて思ってませんでした。
最後は徹夜とかもろもろでバタバタしましたが、とにかく4月に入る前に終わらせられたので本当に良かったです!!
卒論を書き始めた頃や書いている途中は「学部生が論文を書く意味なんて無い、時間の無駄だ」と思いながら、嫌々書いていました。
しかし、書き終えてから振り返ってみると、色々な示唆が得られる体験だったかなと思います。
そこで今日は、卒論を書いて私が思ったことと、そこから考える自分のブログのスタンスについて書こうと思います。
◎卒論を書いて思ったこと
卒論を書いて分かったことがあります。
それは「論文とは、自分の仮説や主張を他人に説得するために書くものだ」ということです。
論文には言いたい仮説や主張があって、実験や調査の結果を用いて、その仮説や主張が論理的に正しいと言えることを示していきます。
その時、ただ闇雲にデータを羅列すれば良いというわけではありません。
なぜそのデータを用いるのか、なぜそのデータを示すことで仮説や主張の裏付けをすることが出来るのかを明らかにしていく必要があります。
その作業をする上で大切なことは、「説得をする相手が存在するということを意識すること」だと思いました。
データを集めたり、実験を行なっている筆者自身は、自分の中である程度ストーリーが出来ていたり、暗黙の了解のような形で前提知識のようなものを持っていたりします。
そのような状態で他者を意識せずに論文を書くと論理に穴抜けができてしまい、論文に必要な「説得力」が欠けてしまうような気がします。
多分この「相手を説得する書き方」というものが必要になるのは、別に論文に限った話ではなくて、例えば会社で働き始めてから企画書を書いたりする時も必要になるのだと思います。
そう考えると、学部生が卒論を書くことには「他人を説得できる文章を書く練習」という意味も込められていたのかもしれませんね。
じゃあ私自身はどうだったのかと振り返ってみると、読み手を意識して卒論を書くということが全くできていませんでした。
そもそも「面白い仮説」を考えるので精一杯で、論文を「説得的に書く」というところまで手が回っていなかったと思います。
そのため、卒論発表会の質疑の場では指導教官と院生の方からほどほどにボコられてしまいました笑
今回の卒業論文はこれで終わりましたが、実は今年のうち(年末まで)に修士論文も書く必要があります。
論文を書いてばかりで大変なのですが、次は今回の反省を生かして、より良い作品が出来れば良いと思います。
◎ブログを書くスタンスについて
読み手を意識して卒業論文を書くことが出来なかったといいましたが、振り返ってみるとブログの執筆でも同じ問題を抱えていると思います。
私がブログを書くモチベーションとしては、①自分の好きなものを紹介したい場合と、②自分の身の回りの出来事とそこで思ったこと・考えたことを整理して発信したい場合に分類できます。
例えば、今回の記事の場合は②のパターンですね。自分の身の回りで「卒論の完成」という出来事があって、そこから考えた「ブログの課題」について整理しています。
インターネット上のブログは自分のノートに日記を書いているわけではないので、その特性上どんなに言い訳をしても読み手の存在がつきまといます。
他人に読まれることが前提であり、かつ内容についても相手に分かってもらう必要があると思います。
さらに、私のブログを書くモチベーション的にはどちらも「相手に情報を伝える」ということが伴うのでなおさらです。
そのため、ブログを書く上でも他者(読み手)のことを意識して書くということが重要になり、それは論文を書くときと同じことなんじゃないかなって思います。
じゃあ、私はブログを書くにあたって読み手を意識できているのかというと、多分できていません。
自分の好きなものを紹介している時は、自分の思いが先走っちゃっているような気がしますし、自分の思いや考えを書いている時も、自分だけ納得できているけど読み手は納得できていない場合が多々あるんじゃないかなって思います。
ちなみに、ここでいう「読み手を意識して」書くというのは文章の構成や文章そのものについてであって、テーマとか題材などは関係ありません。
書く内容自体については書き手の自由に決めて良いと思います。
私みたいに好きなものの紹介記事とか自分の経験について書くのも良いですし、たくさんの人が興味を持っていてビュー数が伸びそうなものを紹介したり、時事的な出来事について熱く議論しても良いと思います。
ですが、その内容を文章という形で発信する上では、読み手を意識して説得的に、分かりやすく書く必要があるのかなって思いました。
今年の4月で私がこのブログを始めて1年になります。
1年間ブログを続けてみて、ブログを書くことで今までには無かった経験がいくつか出来たことは良かったと思います。
その一方で、この1年間で自分の課題(読み手を意識して文章が書けていないなど)もいくつか見つかりました。
なので、これからはそういう課題も意識しつつ、またマイペースに更新していきたいと思います。
それでは、また!
高校の友人にゲイバレしました
どうも、ぱのこめです。
先日「カミングアウト出来ない」みたいな記事を挙げておきながら、なんと今日、高校時代の友人にカミングアウトをしてきました。
まあ、正確に言うと状況証拠から私がゲイだとバレて、それを認めたって感じになります。
なので、今日はその一連の出来事について書こうと思います。
◎なぜゲイバレしたか
簡単に言うと、このブログを見た高校の友人が私だと気づいたからです。
ブログの記事だけだと私のことを完璧に特定するのは難しいと思うのですが、実は私のことを知っている友人(特に高校時代)なら私を特定するのは簡単です。
何故かと言うと、このブログ上で「ぱのこめ」というハンドルネームと、緑の帽子を被ったドットのアイコンを使っているからです。
実は、このハンドルネームは高校1年生〜2年生のときにリアル向け(ノンケ向け)Twitterアカウントで使っていたものです。
また、アイコンについては自作でなかなかお気に入りの物なので、現在でもLINEをはじめ、色んなところで使っています。
というわけで、「ぱのこめ」って名前を覚えていて、Googleとかで検索すればすぐに私のブログに行き着くというわけです。
多分、私のことをめちゃくちゃ好きな人がそのハンドルネームを覚えていて、どっかしらで検索をしたのでしょう。
そしたらこのブログが出てきて、内容も一致してるからこいつだ!ってなったのでしょう。
そして、それが広まって今日のカミングアウトに至るのです。
◎高校の友人と食事に行った
先日、急に高校の友人Aから連絡があって、一緒に飯に行こうと誘われました。
高校時代は結構仲が良くて、ざっくばらんに話せるような関係の友人だったので、今日お昼ご飯を食べてきました。
新宿の大戸屋に入ってご飯を食べ始めた頃に、突然相手から「ぱのこめ(実際は本名)ってゲイなんでしょ?」と少しニヤついた顔で言われました。
その時点ではちょっと動揺したのですが、その場では肯定も否定もせずに「なんで?」と聞き返したところ、「友人B(共通の友人)がブログを見たらしくて、飲み会で言ってた。」という話をしてきました。
その時点で、「まあブログ見られてるならもう言ってもいいや」と思って、そのまま友人Aに対してカミングアウトしました。
あと、正直な話をすると「ここで動揺したらなんか悔しいな」っていう、強がりみたいな気持ちもありました。
カミングアウトした結論としては、やって良かったなって思います。
理由は、カミングアウトして以降の友人Aの態度が特に変わることなく、そのままゲイ映画・レズビアン映画についての話とかを少し出来たからです。
途中で「当時、俺のこともしかして好きだった?」とかいうノンケ男性特有の自意識過剰なクソ気持ち悪い発言も出てきて、その時はこういうのってホントにあるんだなって思いました。
でも、そのあとは今までの近況報告とか人生相談的なものをメインに話して、その後少し謎解きをして解散になりました。
◎ゲイバレして思うこと
まず第一に、私のブログを見つけられたこと、または私がゲイだと気づかれたことに対する思いは特にありません。
もしバレたくないなら、私がハンドルネームとアイコンを変えれば良かったので、まあどっかで自然にバレないかなって気持ちもあったんだと思います。
でも、私がゲイであることを不用意に広めた友人Bについては、まあちょっといただけないかなって思います。
もう少し言うと、実際にブログを見つけたのは友人Bじゃなくて、高校時代から他人の噂とネットストーカーが大好きだった友人Cが見つけて、それを仲の良かったグループ内に広めたんじゃないかなって気がします。
そう考えると、多分自分が思っている以上に広まっている気もします。そう考えると結構怖いですね。
とにかく、今回広めた人がこの記事を読んでいたらそれはアウティングになるんで、まあ今後傷つく人が出ないように気をつけて下さい。
今回ゲイバレして一番嫌だなと思うことは、過去の出来事全てに「私がゲイであること」をくっつけて解釈されることです。
実際、今日会ってきた友人Aも「一緒に帰ったり仲良くしてた=俺のこと好きだったんじゃないか!?」みたいな安直すぎる発言をしていました。
友人Aは結構思慮深いタイプの人間で、今日話した感じだと性的マイノリティに対する理解もなかなか高いかなって印象を受けました。
でも、そんな人間でも過去を妄想で改変しちゃっていたので、多分そこらへんの同級生はもっと酷い妄想をしているんじゃないかなって思います。
まあ、当時に感じてたことが全部そのまま事実だと思うんで、せっかくの思い出をグチャグチャにしないでほしいかなって思います笑
あと、やっぱり過去にノンケの振りして仲良くしてた人にゲイだって知られると、どう振る舞っていいか分からなくなるってのも実感しました。
でも、そのことを友人Aに言ったところ「別にゲイだからって、今までと何も変わらないんじゃない?」と逆に諭される結果に終わりました。
まあ本心かどうかは分からないけど、とりあえずそう言ってもらえたのはとても嬉しかったです。ありがとう。
以上、まとまりが悪くなりましたが、高校の友達にゲイバレした話でした。
なんか時間が経てば経つほど、アウティングされた不安が大きくなってきてます。
まあ、高校の時の知り合いに悪い人はいないんで大丈夫だとは思いますが...
まあ何か進展があればまた書こうと思います。
それでは、また。
私がゲイをカミングアウト出来ない理由
どうも、ぱのこめです。
私は自分が男性を好きであることを自覚してから10年くらいの期間が経っているので、現在ではゲイであることにまあまあ慣れて(?)います。
それに加えて、現在はゲイであることで、どうしようもないほどの不便を感じているというわけでもないので、今まではあまり、ノンケ社会との摩擦について熱量を持って記事を書いたりはしていませんでした。
しかし最近、直近にゲイデビューした方のブログを読む機会が多くて、それに感化されて、今まであんまり書いてこなかった基本的な問題に立ち返ってみるのもいいかなと思いました。
そこで今日は、私のカミングアウトに関する経験と、カミングアウトという行為に対する今の思いについて書こうと思います。
12年分くらいの過去の話を書いたら文章がとても長くなってしまったので、適当に流しながら読んでください笑
ちなみに、過去には「ゲイをいつ自覚したか?」というテーマで記事を書いたことがあります。
今回の記事はその記事と内容が被る部分もあるので、もし興味があったらそっちも読んでみてください。
◎中学時代のカミングアウト経験について
私が一番最初にカミングアウトをしたのは、中学3年の冬のことです。
中学2年の頃から自分のセクシュアリティに疑問を持ち始めていた私は、中学3年の卒業式が終わった夜に両親と妹に対して、自分がバイセクシュアルであることをカミングアウトしました。
今考えるとマジで意味が分かりませんが、一応当時の私がカミングアウトに至った考えは「大人になればなるほど言いづらくなりそうだから、早いうちに言っておこう。それなら、一つの区切りである中学卒業のタイミングで言おう」というものでした。
ちなみに今の私のセクシュアリティはゲイですが、中学~高校の頃は自分のことをバイセクシュアルだと思っていました。なので、カミングアウトもすべて「バイセクシュアルである」と言っています。
言う時はすごく、ものすごく緊張していたので、その時の親の反応はほとんど覚えていません。
たしか、私の話を最後まで聞いてくれて、「なんでそう思うの?」みたいなことを質問してきたような気がします。
あと、妹には「ゲイって言われたら気持ち悪いと思うけど、バイならまあいいんじゃない。」みたいなことを言われたような気がします。
というわけで、私の一番最初のカミングアウトは親(ついでに妹)に対してのものでした。
私の友人の場合だと、「同性の同級生を好きになって、告白するタイミングでカミングアウトする」パターンのカミングアウト初体験が一番多いような気がします。
なので、そういう人と比べるとちょっと異質なものかもしれません笑
カミングアウト後はどうなったのかというと、良い意味でも悪い意味でも何も変化はありませんでした。
具体的には、その後バイであることについて言及されることは無かったし、それについて咎められたり勘当されたり(現代であるのかは知らない)ってこともありませんでした。
でもその一方で、親の対応が良い方向に変化することもなく、相変わらず「彼女はいないの?」とか「好きな人はいないの?」みたいな質問が高校卒業まで続くことになります。
◎高校時代のカミングアウト経験について
高校時代は、高校1年生の秋に、同級生5人に対してバイセクシュアルであることをカミングアウトしました。
カミングアウトしたのは同じクラスの私含む仲良し6人組のメンバーで男子3人、女子3人のグループでした。
カミングアウトした理由については、相手がカミングアウトを受け入れてくれると思ったからです。
当時の私は勉強が得意で県内トップ校に通っていたのですが、勝手に「頭がいい人は差別しない=カミングアウトしても受け入れてくれる」と思ってました。
今の私ではこの考え方は全く理解できないので、とりあえず若気の至りということで納得してください笑
とにかく、当時の私はそういう自分に都合の良い考えを持っていて、さらにその5人とはすごく仲良くしていた(と私は思っていた)ので、カミングアウトしても絶対に受け入れてくれるだろうという謎の自信がありました。
そのため、夏休み明けにある前期の期末試験のテスト週間(2学期制だったため9月の頭に試験がある)に5人に対してカミングアウトをしました。
カミングアウトしたタイミングは、テストが午前中で終わった放課後、教室に残って私含む6人で次の日の試験の勉強をしていた時です。夏の16時前くらいでまだ明るい時間帯だった気がします。
受け入れてもらえるという謎の自信はあったものの、やっぱりカミングアウトするときはドキドキしながら話しました。
カミングアウトした時の相手のリアクションは詳しくは覚えてないのですが、「ふーん、そうなんだ。」みたいな感じだったと思います。
感動的な展開とかを期待していたのでちょっとガッカリしました。
洋画がめちゃ好きでGleeとかRentとかを見ていて、ゲイに耐性があった(?)男の友人だけは「言ってくれてありがとう」って言ってくれたのはハッキリ覚えています。
カミングアウトした後にどうなったかというと、家族にカミングアウトした時と同じで、良い意味でも悪い意味でも何も変わりませんでした。
良い意味としては、そのカミングアウト以降も私たちはクラス替えがあるまで仲良し6人グループで行動していました。
多分その5人は他の人に私がバイであるとばらしていないし、それで差別してきたり馬鹿にしてきたりすることも全くありませんでした。
悪い意味で変わらなかったことの具体例は、「クラスでどの女子が好きか」トークが無くならなかったことです。
もしバイセクシュアルであることを完全に理解してくれたのであれば「クラスでどの男子が好きか」トークをしても良いような気もします。
しかし、そういう話の振り方は一切なかったし、女子と好きな男子について恋バナする的なものも一切ありませんでした。
まあ、これについては私がバイセクシュアルとカミングアウトしたのも問題かもしれません。
やっぱりゲイとバイだと受ける印象も違うし、対応が変わらなかったこともまあ納得できなくはないです。
でも、この経験で何も変わらないと知った私は、その後にゲイの同級生から襲われる(?)などの出来事もあいまって、もうカミングアウトはしなくていいやってなりました。
そのため、高校時代にそれ以降カミングアウトをすることはありませんでした。
◎大学時代のカミングアウト経験について
大学に入ってからは、すぐに大きめなセクシュアルマイノリティサークルに入りました。
なので、周囲にゲイの人たちがたくさんいて、次第に自分のセクシュアリティもゲイであるという自覚が強くなっていきました。
その頃にはもうノンケ社会に埋没することにもぼちぼち程度慣れつつあったし、感覚もまあまあ麻痺していたので、別に恋愛やセックスの話はゲイの人たちとやればいいやってことで、大学のノンケ友達にカミングアウトしようとは一切思いませんでした。
そんな中で起きたカミングアウトは、まさかの母親に対するものでした。
大学1年の夏休み中に起きたもので、母親にとっては4年ぶり2回目です。
セクシュアルマイノリティサークルでフリーペーパーを作ることになり、そのための編集ソフトを私の母親が持っていたので、それを貸りて作業をすることになりました。
そこで、貸してくれるように母親にお願いしたら「何のために使うの?」と聞かれました。
今振り返るとそんな質問が来ることくらい容易に想定できたはずなのですが、当時の私にとっては予想外の質問過ぎてしどろもどろになり、「何に使うかは言えないけど、とりあえず貸してほしい」とかいう、訳の分からない返事をしてしまいました。
そんな意味不明な返事をする息子に対して、母親は「宗教関係の団体に入っているのか?」と聞いてきました。
「さすがに違うよ」と私が笑って答えると、「じゃあセクシュアルマイノリティサークルでしょ?」と言ってきました。
実は、母親は中学3年の時に私がカミングアウトしたことを覚えていて、一応気にかけていたらしいです。
面と向かってそんなことを聞かれた私は、「まあもう隠すのも変だし言ってもいいか」って思って母親に対して2回目のカミングアウトをしました。
内容としてはセクシュアルマイノリティサークルに入っていることと、ゲイであることです。
母親としては少し衝撃があったのでしょう。その日はそれだけ伝えて、ソフトを渡してもらって解散になりました。
私としては自分の中学時代のカミングアウトは無かったことにされていると思っていたので、覚えていてくれたのは結構嬉しかったです。
実際、同じセクマイサークルの友人に対して母親へカミングアウトできたことを伝え、夜遅くまで電話で盛り上がったことを覚えています。
ですが、そんな喜びも次の日の朝にぶち壊されました。
次の日の朝、目を覚ますと母親からこんなLINEがきていました。
「姉と妹の結婚に影響が出ると困るから他の人には言わないでほしい。」
「将来的には海外に行って生活するといい。」
このメッセージに対して感じるものは人それぞれだと思います。
まあ最大限良い方に解釈するのであれば、母親なりの私に対する心配とか優しさのようなものからこの発言が出たと言えるかもしれません。
ですが、当時の私はこのメッセージを読んで、母親から邪魔者として突き放されたような感覚を覚えて非常に悲しかったです。
それ以降、母親とゲイに関する話は一切していません。
なので、今は私でも私のことをゲイだと思っているのか、それともいつかは結婚すると思ってるのか、そこらへんのところは全く分かりません。
でも、カミングアウトして良かったこととしては、そのカミングアウト以降、母親から「彼女はいるのか?」「好きな人はいないのか?」のような質問が飛んでくることは無くなりました。
あと、今までは友達と遊んだり、泊まったりするときには、誰と遊ぶのかをいちいち言わないといけなかったのですが、そのカミングアウト以降は全く聞いてこなくなりました。
◎カミングアウトに対して思うこと
長くなりましたが、私のカミングアウト経験は以上のような感じです。
読んでいただいたら分かる通り、私はあんまりカミングアウトに良い経験がありません。
なので、私の経験上では、「カミングアウトしてから友達ともっと仲良くなれた!」とか「カミングアウトして人生が楽しくなった!」とか、そんなことは全くありません。
どちらかというと、カミングアウトでこっちはめちゃくちゃ多大なコストを支払っているのに、カミングアウトしても何も現状が変わらずリターンが無いから、ただ損をしているだけって感じになっちゃっています。
もちろん、私の上記のようなスタンスに対して批判があることは十分理解しているつもりです。
例えば、「カミングアウトはそれが終わりではなくてそこから新しい関係が始まるものだから、カミングアウトすることによるリターンを得るためには以降もコミュニケーションをとり続けないといけない」とかって批判もあるかなって思います。
もちろんそれも理解してるつもりだし、ゲイであることに理解を示してもらいたいなら自分から動き続けないといけないっていうのも分かります。(まあ、そういう社会も少し悲しいとは思いますが)
でも、それってめちゃくちゃ疲れるんですよね・・・。
私にとってはカミングアウトってだけで心理的に結構負荷がかかるのに、無知ゆえの差別とか批判とかしてくる人と真面目にコミュニケーションとるのなんてぶっちゃけめんどくさいです。
それに加えて、ノンケとして埋没して生きることに慣れてしまうと、ノンケ社会に埋没するコストがどんどん下がっていきます。
その結果、「(ノンケ社会に埋没するリターン)ー(ノンケ社会に埋没するコスト) < (ゲイであることを理解してもらうリターン)-(ゲイであることを理解してもらうコスト)」になってしまい、結果としてカミングアウトするインセンティブがなくなってるって感じです。
あと、私がカミングアウトを出来ない理由がもう一つあって、それは「カミングアウトすることで結果として自分が相手に幻滅してしまい、自ら関係を切ってしまう」からです。
私の場合、カミングアウトすると相手に対して自分をゲイとして扱うことを期待してしまいます。
こっちとしては勇気を出してカミングアウトしてるし、実際相手にとっても「私=ゲイ」と認識に変化が起きるので、対応が変わるのを期待すること自体はまあそんなに変じゃないかなって思います。
でも私の今までの経験では、大体相手の対応は何も変わらなくて、今まで通り異性愛者みたいに扱われることばかりでした。
そうなると、単純に自分の期待を裏切られるので、相手に対してネガティブな印象を持ってしまうんですよね。
そして、ネガティブな印象を持つと自分にとっての相手の魅力が下がって、関係性を保つモチベーションが下がってしまい、結果として疎遠になってしまうみたいなことが私の場合は起きてしまいます。
実際、高校1年の時に仲良しグループだった人たちとは全く連絡を取っていません。
もちろん、高2以降にクラスが違ったとか色々要因はあるのですが、正直自分は今どんな顔して会えばいいか分からないし、カミングアウトの過去を無かったことのように振舞われるのも悲しいので全く会う気が起きません。
こんなふうに、相手に対して勝手に期待して、勝手に幻滅して、自分から離れることになるのは、けっこう悲しいし、嫌なんですよね。
そういう意味では、ゲイだってカミングアウトしなければ、相手がホモネタとか彼女ネタとかを振ってきても「自分がカミングアウトしてないから悪いんだ」って自分のせいに出来て気が楽です。
つまり、カミングアウトして相手から拒否されるのが怖いというよりは、自分の相手に対する期待とか態度とかが変わってしまうことが怖くて、それがカミングアウト出来ない原因になってると思います。
とまあ、ここまでカミングアウトについてネガティブな話ばっかり書いてきましたが、じゃあカミングアウトしたくないのかって言うと、私はまったくそんなことないです。
ノンケ社会で埋没して生きていくよりも、ゲイとして自分を受け入れてもらえる状態で生活している方が絶対に幸福だし、楽しいし、生きやすいと思います。
実際、ゲイがゲイ同士で固まるのってそういうことなんじゃないかなって思います。(気のせいだったらごめんなさい)
でも、私の場合はカミングアウトの成功体験が無いからするのが怖いです。
あと、変にコストがかかってめんどくさいです。
さらに、どちらかというと上手くノンケ社会に埋没出来るタイプだから切羽詰まっていないです。
・・・という、色々な要因が相まった結果として、私の現在のようなスタンスになってしまいました。
とはいっても、社会人になったら今の彼氏と同棲を始めようと思っているので、そのタイミングでは改めて家族にカミングアウトしようかなって思っています。
なので、タイミングとしてはこれから1年以内の出来事になると思います。
一応経済的にも自立できる予定なので、もし家族との関係が悪化しても縁切っちゃえばいいのですが・・・
まあ、出来れば上手く良い方に転がってほしいかなって思ってます。
以上、カミングアウトに関する話でした。
色々書いてきましたが、これは全部現在の気持ちであって、環境とか状況によって変化していくものだと思います。
なので、将来の私のスタンスがこの記事からぶれていったとしても、温かい目で見守ってください笑
長々と書いてしまいましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました!
それでは、また。
自分の家で謎を解く『5分間リアル脱出ゲーム』
どうも、ぱのこめです。
私は「リアル脱出ゲーム」をやるのが好きで、お金を払って定期的に密室へ閉じ込められに行ってます。
「リアルゲームってなんぞや?」という方がいたら、過去の記事↓で紹介してるので読んでみて下さい。
しかし、リアル脱出ゲームが出来る場所は限られているし、友達集めて予約して東京に行って...となるとちょっと大変です。
しかも、リアル脱出ゲームに一度も参加したことのない人にとってはどんなゲームか分かりづらく、謎がちゃんと解けるか不安で参加をためらっちゃうかなとも思います。
そんな人にピッタリな本が『5分間リアル脱出ゲーム』です!!
この本は、誰でも家の中でリアル脱出ゲーム気分が味わえて、しかも謎解き初心者の人でも楽しめる(もちろん、ベテランの人も楽しめる!)作品になっています。
たくさんの人にリアル脱出ゲームと謎解きの楽しみを知ってほしいので、今日はこの本のレビューを書きたいと思います。
(2019年2月28日に第2弾が出たよ!)
◎『5分間リアル脱出ゲーム』について
『5分間リアル脱出ゲーム』とは、いつでもどこでも手軽に、短い時間でリアル脱出ゲームが出来る謎解き本のことです。
全部で10個の謎解きゲームが入っていて、本書を読み進めながらそれら全ての謎を解いていくことになります。
↑ このサイトでは謎解きゲームの体験版ができます!興味があったらやってみてください。
1つ1つの謎解きゲーム自体は短い時間で終わるものばかりなので、空いた時間にちょこちょこ進めていくことが可能です。
どの謎解きゲームもストーリーに沿って謎を解いていくタイプになっており、1回1回ジャンルの異なった短編の物語を楽しめます。
ちなみに、タイトルには『5分間』と書いてありますが、謎の量的にも難易度的にも5分間で終わるものはほとんどありません笑
1つの謎解きゲームで最短5分、長いと1時間くらいかかる(というか、ひらめかなかったら一生終わらない)ようなゲームも収録されています。
そして、10個全ての脱出ゲームをクリアすると『最終問題』に挑戦することが出来るようになります。
これは、1作目も2作目も最後にふさわしいような謎が隠されているので、是非買って挑戦してみてください!!
◎『5分間リアル脱出ゲーム』の魅力
個人的に思う『5分間リアル脱出ゲーム』の魅力は2つあります。
1つ目の魅力は、単純に謎のクオリティが高いことです。
ここでいうクオリティとは、「難しさ」ではなく「驚き」や「感動」という意味です。
おそらく謎解きをされたことのない人は「謎を解いて感動する」ということが全く想像できないと思います。
例えば私の場合は、自分が想像していなかった方法で答えを導かれたときや、既存の謎を条件やルールを変えて再度解きなおすことで全く逆の答えが導かれたときに、強く感動を覚えます。
そしてその感動を再び味わいたくて何度もリアル脱出ゲームに行ってしまうのです・・・。
そんな感動体験を、この本でも味わうことが出来ると思います!実際私もこの本を解いていて何回も謎に感動しました。
個人的には、謎解きで味わえる感動を他の媒体で感じたことは無いように思います。
人によってその種類の感動が合う・合わないはあると思いますが、もし興味があったら是非やってみてください!
2つ目の魅力は、ヒントが複数ステップで出されることです。
正直、謎解きベテランでないとこの本の謎を一人ですべて解ききることは難しいんじゃないかなって思います。
実際、私は50回くらいリアル脱出ゲームに参加している自称中級者ですが、何度か謎に詰まってヒントを見ました。
そうやって謎に詰まった時に気軽にヒントを見ることが出来るのが、この本の大きな魅力だと思います。
別の謎解きの場合だと、ヒントがそのまま答えに結びつくようなことが多く、ヒントを見た後に自分で改めて考えるというステップを楽しむことが出来ない場合が多いです。
しかし、この本の場合はヒントを小出しに、複数ステップに渡って出してくれます。
例えば最初のヒントでは「Aの謎は〇〇でしたよね。何か違和感はありませんでしたか?」のように、なぞに取っかかるキッカケのようなものだけを与えてくれます。
そして、もしそのヒントでは分からなかった場合、次のヒントで「Aの謎の□□の箇所を見てください。」のように、より直接的なヒントを与えてくれます。
このようにヒントを小出しにしてくれるので、謎のとっかかりが全くない状態で長い時間悶々とするストレス(もちろんそれが醍醐味なのだが)を軽減することが出来ますし、もしヒントを見ても「自分で考えて謎を解く」という部分が0になることはありません。
そのため、謎解きに慣れた人から初心者の人まで幅広い人が楽しめる本になっていると思います。
以上、謎解き本のおススメ記事でした。
まじで、ほんとうに、めちゃくちゃ面白い謎がたくさん詰まっています!
謎解きに興味ある人は絶対に損しない内容になっていると思うので、ぜひ買って挑戦してください!!
リアル脱出ゲーム・謎解きを好きな人が少しでも増えることを期待してます笑
それでは、また。