ぱのこめの生活

20代のゲイ。主に、日々の生活や趣味などについて書きます。

思考停止する幸福

どうも、ぱのこめです。

1週間以上前に書いて投稿し忘れていた記事がありました。

イムリーな内容の記事ではなくなってしまったのですが、良かったら読んでください。 

 

 

2019年2月末頃、同性愛関連のニュースがたくさん報道されていて、私はそれらについてなるべく積極的に情報収集をしていました。

例えば、同性婚を求めて提訴したニュースだったり、一橋大学のゲイ学生自死事件の判決だったり。

 

www.sankei.com

 

www.huffingtonpost.jp

 

その中で、マジョリティには『思考停止する権利』があって、それが人生の幸福度に割と大きな影響を及ぼしているんじゃないかと思いました。

なので、今回はそれらについて書こうと思います。

 

 

同性婚に対する批判

まず、同性婚の裁判に対する意見をTwitterで見ていたのですが、いつも通りの賛否比率かなって気がしました。

私は賛成側なので反対派の意見が目に止まることが多いのですが、反対理由としても従来通りの「養子縁組を使えば結婚はいらない」や「家族の崩壊」的な意見が大半のような気がしました。(もちろん、賛成意見が従来通りだと言われればそれも合ってる)

 

それらの一般的な反対意見に対しての反論が同性婚裁判の公式サイトの「よくあるご質問」のところに載っています。

 

marriageforall.jp

 

これを読んで、私にとっては「あー、こういう意見にはこうやって反論するんだ」って勉強になりました。

もちろん、賛成派が意を汲む必要のある鋭い反対意見も中にはあると思うのですが、今までに何度も目にしてきた『紋切り型の批判』については、こんな感じでバッサリ切るのもありだなと思いました。

 

 

そんな反対意見の中で、私がいつも気にしちゃうのは「養子縁組をすれば結婚する必要はない」「遺言状を作ればいい」などの、『別の目的で作られている既存の制度を使えば代替できるから同性婚反対』という意見です。

これを言われると、個人的には無知さも相まって「ううん、たしかになー...」と思っちゃいます。

 

私自身は「結婚のメリット=経済的な指標で測れるメリット」みたいに捉えている節があるので、それらの代替案で結婚できないことによる経済的損失を賄えるのであれば、たしかに同性婚をわざわざする必要はないのかなーとかって考えちゃいます。

でも、Twitterで以下のツイートを見た時に、ハッとしました。

 

 

「そっか、異性愛者は養子縁組なんてそもそも選択肢として想起されないんだ」って改めて認識しました。

 

 

◎思考停止する幸福

上記のツイートを見たとき、思考停止して結婚を選択できることがマジョリティの権利なのかもしれないなと思いました。

 

もちろん、異性愛者の人でも結婚制度自体の問題点を指摘してる人はいると思います。

しかし、その人たちが結婚制度を使っている具体的な個人を責め立てるような場面を私は見たことがないし、実際に私の周囲の人が結婚制度を使うにあたって批判されたという話は聞いたことがありません。(もちろん、私が知らないところでは起きている可能性はありますが)

 

それに対して、ゲイである私が結婚する場合は「本当に結婚することが正しいの?」って疑問を周囲から持たれ続けるし、自分でも「本当に結婚って選択が正しいのかな?」って疑い続けちゃうかなって思います。

そういう心理的なコストだったり、情報収集コストだったりと、マジョリティよりはたくさんの無駄なコストを支払って生きてるような気がします。

 

それらのコストを差し引いたベネフィットが少なくなると「結婚するメリットがない」→「同性婚はいらない」って判断になっちゃうのかなって思います。

そして、そのベネフィットがある意味では人生の幸福的なものであり、私があまり享受できていないもののような気がします。

 

個人的には、凝り固まった価値観やロールモデルから生じる思考停止の行動というものがすごく好きです。

なぜなら、その行動の正否だったり善悪だったりの判断が自分から離れたところにあって(あるような気がするだけ)、自分で思考コストを支払う必要が無いからです。

つまり、思考コストを支払わずに行動によるベネフィットだけ得られるって感じですね。最高!

いわゆる前例主義も多分同じような原理で成り立ってるんじゃないかなって思います。

 

もちろん、現代では以上のような思考停止の行動は批判される傾向にあるし、私自身は盲信出来るほど立派な価値観に出会えていないので、これからもその都度考えて行動を選択していく必要があります。

でも、ゲイのロールモデルが出現して思考停止行動が取れるようになったら、私もその種の幸福を享受できるようになるのかなって思います。

具体的には、異性愛者の人が養子縁組を全く考慮せずに結婚制度を選択するように。そして、その選択に疑問を持たれず、自身も疑問を持たないように。

そういう意味では、「ロールモデル」っていうのは個人が尊敬したり憧れたりするだけじゃなくて、社会的に広く認められるみたいな部分も必要なのかなって気もします。

 

まあ実際は、ゲイの中にもセックス至上主義的な価値観が蔓延している(と私は思っている)にもかかわらず、それに私自身が乗っかれていない時点で、性格とか人間性の部分で思考停止行動が合わないだけってのはあるかもしれませんが...

 

でも、私はいつでも思考停止による幸福には憧れていますし、多分これからも求め続けるんじゃ無いかなって思います。

ここまでくるとこれは「隣の芝は青い」的な憧れに近いかもしれませんが、まあそれを求めて得ることも幸福の一つってことで許してください笑

 

 

以上、思考停止バンザーイ!って記事でした。

思考停止=悪いことみたいな風潮があるかもしれませんが、私自身はそれも立派な選択の一つだと思うし、幸福度はそれで高くなるんじゃないかって信じています。

そういう意味では、私は「思考停止至上主義」的な価値観を持てているのかもしれませんね笑

 

 でも、「思考停止を選択する=思考停止だ」って言われたらなんとも言い返せない気もするし、でもここまできたらもう言葉遊びの域に入っているような気もするし...

訳が分からなくなりそうなのでこの辺で止めようと思います。

 

 

前に書いた記事はここまでになります。

まさか書いていた頃は、1週間後の自分に冷静な目で校正されてから投稿されるとは思っていなかったでしょう笑

 

最近書きたいことがいっぱいたまっているので、なるべく気持ちが熱いうちに書いて投稿しようと思います。

それでは、また。