多分、僕がゆとりだから。
どうも、ぱのこめです。
最近、家族や友達たちとボードゲームをやる機会が多いです。
昔はボードゲーム全般が好きではなかったのですが、去年の秋くらいにそれが治りました。
でも、たくさんの種類のゲームをプレイしていくうちに、一口にボードゲームと言っても、好きなボードゲムや嫌いなボードゲームがいくつかあるということに気づきました。
自分が何でそのゲームを好きなのか、嫌いなのかを考えてみたところ、自分の今までの生き方とか自分の価値観みたいなものに通ずるところがあるように思いました。
なので、今日はボードゲームの好き嫌いを通じて、自分が思ったことを書こうと思います。
◎好きなゲーム、嫌いなゲーム
まず、自分が好きなゲームは『Splendor(宝石の煌めき)』というゲームです。
このゲームを簡単に言うと、宝石(トークン)を使ってカードを集めていき、集めたカードに書いてある点数の合計値が一番早く15点にたどり着いた人が勝ちというゲームです。
カードの枚数はたくさんあるので、相手のカードを奪ったりする必要はありません。
プレイヤーはゲームで勝利するために、場においてあるカードから早い者勝ちで好きなカードを取っていくことになります。
その一方で、自分が嫌いなゲームは『ディプロマシー』というゲームです。
このゲームは第一次世界大戦を模したゲームです。プレイヤーは各国の代表となって陸軍・海軍を動かして自国の領土を広げていき、ゲーム終了時点で最も領土が大きいプレイヤーが勝利となります。
現実世界と一緒で領土の大きさや土地には限りがあるので、自分の領土を広げるために相手の土地を奪う必要があります。
最初に保有している戦力はどの国も大差がないので、基本的には他の国のプレイヤーと交渉してチームを組んだり裏切ったりしながら進めていく必要があります。
◎勝利とゼロサムゲーム
上記はほんの一例なのですが、このように好きなゲーム・嫌いなゲームを分類していくことで、自分の価値観みたいなものが分かってきました。
それは、自分が「勝利」に全く興味がないんだろうなということです。
じゃあ何に興味があるのかと言うと、自分の純粋な得点を高めることや、それを達成するスピード・効率性などに興味があるんだろうなって思います。
もう少し具体的に説明すると、自分の得点を高めることそれ自体には興味があるみたいです。
でも、相手の得点と比べて相対的に高い得点を得ることや、相手の得点を下げることで自分が相対的に高い点を得るということには興味が無いみたいです。
私個人としては、自分と相手プレイヤーが純粋に自分の得点を高め合う行動をして、結果的に勝敗がつくタイプのゲームが好きです。
上記で挙げた好きなゲーム『Splendor』はまさにこのタイプのゲームです。
相手とのトークンやカードの取り合いという競争要素は存在するものの、相手の得点を下げる方法は存在せず、常に自分の得点最大化と効率化を考えて行動し続けることで結果的に勝利することができます。
その一方で、自分の得点を高めることと相手の得点を下げることが同時に生じてしまうゲームが存在します。
それが「ゼロサムゲーム」です。
ゼロサムゲームとは経済学に用語で、「一方が得点すると他方が失点するため、全部の持ち点の和が必ずゼロになるというゲーム」のことを指します。
基本的に自分はこのタイプのゲーム全般が嫌いだなぁって思います。
そして、上記で述べた嫌いなゲーム『ディプロマシー』もまさにこのタイプです。
『ディプロマシー』では、自分が新しく領土を獲得するためには必ず相手の土地を奪う必要があります。
そこの駆け引きがゲームの面白さである(のだろう)ことは頭では理解できているのですが、私としてはそこの部分に全く面白さやワクワクを感じることが出来ません。
◎今までとこれから
何で自分の中でこのような好き嫌いが生じているのか考えてみたところ、おそらく自分は今までの人生の中で、「ゼロサムゲーム」で「勝利」を目指して行動するということをほとんどしたことがないからだと思いました。
そもそも私は生きている期間が23年強くらいしかないので絶対的な経験数が少ないです。
その中で一生懸命やった経験といえば、勉強、スポーツ、芸術、他者とのコミュニケーション活動くらいしかありません。
そして、それらの活動の中にはほとんど「ゼロサムゲーム」が存在しませんでした。
例えば、勉強における「プレイヤー」を「学生」「得点」を「学力」、「勝利」を「第一志望校合格」と設定した場合を考えましょう。(勝利の設定が悪いという批判は甘んじて受けます)
この時、学生は合格を得るために、一般的には自分の学力を高めて、結果的に合格を得ることが出来るとされています。
これは、勉強ゲーム(または受験ゲーム)が学力という得点に上限はなく、また他のプレイヤーと両立して自分も得点を獲得できる「プラスサムゲーム」だからです。
これはスポーツや芸術などに置き換えても同じことが言えるでしょう。
そもそも「勝利」はその定義上、どうしても相対的なものになってしまい、全員が勝つことはあり得ないという点で「ゼロサムゲーム」であるといえます。
しかし、その勝利に結びつく得点(勉強なら学力、スポーツなら運動神経や筋力など)を得る行動はゼロサムゲームではありません。
そのため、自分の得点を伸ばす上では相手のことを意識するよりも、自分の体力や精神力などを意識することが必要になります。
勉強やスポーツにおいて「自分との戦い」という言葉が出てくるのは、このゲームの特性が理由であるような気がします。
以上のように、私は今までの人生の中で、自分の得点や評価を高めるために他者を強く意識する場面がほとんどありませんでした。
もしかしたら、この傾向はいわゆる「ゆとり」的なものなのかもしれません。
その一言で全部片付けるのは個人的には好きじゃないのですが、自分の価値観に今までの評価制度とか社会の風潮が全く影響を及ぼしていないとも思えません。
相対評価よりも絶対評価で判断されることが多かったからこそ、他人との競争に晒される機会が少なく、そのようなものに慣れていないのかもしれません。
でも、会社で働き始めると相対的に評価されることが多くなるのかなってイメージを勝手に持っています。
そもそも今まで明確だった「得点」の判断基準が曖昧で多様化し、結果的に優劣をつけるためには相対評価を用いらざるを得ないのかもしれません。
とりあえず、いつかやってくるであろう相対評価に向けて、他人との競争関係は意識して生活していかないとなって思います。
まあ競争ばっかり意識して生活したら消耗して疲れちゃうんで個人的には嫌なんですけどね...
でも、今までみたいにゆるゆると「自分との戦い」ばかりしててもしょうがないと思うので、気持ち切り替えて頑張りたいと思います。
以上、長々とつまらない話ばかりでしたが、読んでいただいてありがとうございました!
それでは、また。