ぱのこめの生活

20代のゲイ。主に、日々の生活や趣味などについて書きます。

「やってあげるセックス」をやらなかった話

お久しぶりです、ぱのこめです。

大学生活最後の夏休みを絶賛満喫中ですが、遊び呆けてまったくブログの更新をしていませんでした。

どっかのタイミングで夏休みの振り返り的な記事も書こうと思いますが、今日は別の話題について書こうと思います。

 

今日、友達と晩御飯に行っていてその帰りにセックスに誘われました。

先に結論を言うと、私はその誘いを断ってそのまま家まで帰ってきたのですが・・・

その出来事に対して色々思ったことがあるので、今日は電車で帰り道に考えていたことや、この出来事を通じて実感したセックスに対する自分の価値観的なものを書こうと思います。

 

 

◎今日の出来事について

今日一緒に晩御飯へ行っていたのは友人A君です。

彼は30歳過ぎのゲイ男性で、2年ほど前(2017年の秋ごろ)に参加したある団体Xの飲み会で知り合いました。

飲み会の時に彼が一人でお酒を飲んでいて周囲から少し浮いていたので、話しかけたのが彼との出会いです。

 

A君は他人とコミュニケーションをとるのが苦手で、あまり友達がいないようでした。

その飲み会でも周りに友達と言えるような人はいなかったようです。

私が話しかけたことをとても喜んでもらえたようで、A君は彼自身のことをたくさん私に話してくれました。

結局飲み会の後半はほとんどA君と話し続け、飲み会が終わった後は連絡先を交換して、その日はそのまま解散になりました。

 

それから数か月ほど経ってからA君から定期的に連絡が来るようになりました。

私はというと、飲み会の時は一人で座っているA君を見てある種の義務感のような思いで話しかけたので、正直A君のことは印象に残っていませんでした(冷たい人間ですね)。

なので、最初にA君から連絡をもらったときはマジで顔も名前も全く出てこなかったのですが、何とか過去の飲み会の写真と参加者リストから(あ~、この人かな~・・・?)程度までは特定することが出来ました。

そんな状態だったにもかかわらずA君からは月一くらいの頻度で連絡が来るので対応し、主にA君の身の上話や人生の相談(10歳下にする話ではない)に乗っていました。

 

その後1年くらいの間は、一度もA君と会う機会はありませんでした。

ですが、飲み会から1年後(2018年の秋ごろ)に再び団体Xのイベントへ参加した時に、A君と再び会いました。

そのイベントの時は、A君は私にべったりとくっついているような状態でした(他に友人と呼べるような人がいないし、A君から他の人に話しかけることは必然的にそうならざるを得ない)。

その時点でA君からある程度の好意を持たれている自覚はありました。

でも、A君とは会う頻度も少ないし、正直友達と言えるほどの親密な関係性ではなかった(少なくとも私にとっては)ので、カウンセラーくらいの気持ちで私はA君と関わっていました。

 

その後はまた1年くらいの間、A君と会う機会はありませんでした。

その間にA君から何度か食事を誘われたのですが、面倒くささが半分、都合が合わないのが半分くらいの理由で断り続けていました。

 

 

そして、先日(2019年8月の終わり)にA君から再び食事に誘われて、今まで1年ほど断り続けていた罪悪感&夏休み中でちょうど時間があったことから、今日食事をしてきました。

 

食事中は相変わらずA君自身の身の上話と人生の相談が専らの話題となり、私は基本的に相槌と深堀する質問でA君の話に応えていました。

そして、食事が終わった後にA君が「解散する前に公園へ行って散歩したい」と言ってきました。

外へ出ると小雨が降っていたので散歩を中止するように軽く提案したのですが、A君が結構強く散歩を希望したので、しょうがなく私がルートを決めて徒歩15分ほどのところにある公園へ向かうことにしました。

 

こういうことを言うのは自意識過剰だと思われるのであんまり言いたくないのですが、その散歩の途中で、「あ、この人セックスしたいんだな」って思いました。

 

何故そう思ったかというと、一緒に横を歩いているときに軽く手を当ててきたからです。

この行為をやる気持ち、分かりますか?

私はめちゃくちゃ分かります。

昔、気になる人と一緒に歩いてるときによくやっていました笑

 

A君も公園へ向かっている途中、しきりに彼の右手を私の左手に軽く当ててきました。

でも、私は彼とは全くセックスしたくなかった。

だから常に彼の側の手でバッグと傘を持って歩くようにしていました。

 

それでもしきりに手を当ててくるA君。

手が当たらないようにA君の前後へずれて歩こうとする私。

 

公園に向かっている途中、私の胸の中は、彼の期待に応えられないことに対しての申し訳なさとか、私が嫌がっていることに気づかない彼の鈍感さに対しての苛立ちとか、様々な感情でいっぱいでした。

 

公園に着くとしきりに「ベンチに座って休憩すること」を提案してくるA君。

「どこでもいいから、とりあえずイチャイチャしたい」という欲求を隠すこともしなくなったA君に対して、私は(やりたくないな~、早く家に帰りたいな~)と思っていました。

 

ベンチを探して公園を一周してみましたが、雨が降っていたためベンチは全て濡れていて、座ることは出来ませんでした。

駅へ戻って解散することを提案した私に対してA君は抵抗を見せましたが、私が歩きはじめるとA君は仕方なさそうについてきて、そのまま公園を後にしました。

 

公園を出てからは静かに後ろをついてくるA君。

私は「やっと私のセックスしたくないアピールに気づいてくれたか」と思い、安心して駅への帰路を進んでいました。

 

しかし、5分ほど歩いた頃、A君は突然「どっか二人きりになれる場所で休憩しよう」とハッキリと言ってきました。

(あ~、ついに言われたか・・・)と思った私は、とりあえず「なんで?」と聞き返すと、その質問に対してA君は「イチャイチャしようよ」と返してきました。

(なんて言って断るのが一番丸く収まるかな~・・・)と少し考えた私は、最終的に「彼氏いるから無理」と言って断りました。

 

私的には最強の切り札を切ったつもりでいたのですが、A君はその返事に臆することなく「え〜、でもイチャイチャしようよ~」と再度誘ってきました。

正直、「彼氏いるから無理」って断りを気にすることなく再度誘ってきたのに対しては、(こいつ、めちゃくちゃメンタル強いな!)と思いました。

 

 

直接的にA君を否定すると彼を傷付けることになると思ったので、遠回しに言って諦めてもらおうと思った私は「この近くに二人きりになれる場所なんてないよ」と言いました。

しかし、それに対してA君は「トイレに行こう」と言ってきました。

 

トイレでセックスするという選択肢を出してきた時点で私的にはもうあり得なかったのですが(せめてラブホテルかハッテン場に連れて行けよ、って思った)、私はそれに対して「屋外はちょっとな~・・・」という頓珍漢な返事をしました。

すると、A君は「どっかビルのトイレを探そう」と提案してきました。

 

いや、そういうことじゃねーんだよ!俺が嫌がってることに気づけよ!

 

もう遠回しに言ってもA君は諦めてくれないということが分かったので、私はハッキリと「あなたとはセックスしたくない」ということを伝えました。

それに対して「え、なんで?」と聞き返されたときは驚きましたが、それに対してはもう返事もしないでスタスタと駅へ向かって歩きました。

 

A君を無視して歩いているとA君は静かに後ろをついてくるだけになりました。

そんなA君の態度を見て、A君が諦めてくれたと思い、私は安堵の気持ちでいっぱいでした。

 

しかし、駅目前まで来たときにA君が再び「ここのビルの地下にトイレがあるからそこへ行こう」と提案してきました。

 

正直に言うと、それまでの歩いている時間に私は(やばいな~、直接的に否定しちゃったから傷ついているかな~・・・。また精神的に病んだりしたらかわいそうだし、どうやってフォローすればいいんだろう・・・)とか思っていました。

でも、その2回目の誘いを聞いて、なんかもうどうでも良くなりました。

 

その誘いも丁寧に断ってまっすぐ駅まで向かい、そのまま解散して帰宅しました。

別れ際に「またね」とか言ったけど、多分もう会うことは無いんじゃないかなって思います。

 

 

◎思ったこと・反省点

・他人との関わり方

これは私の考え方なのですが、私は、経済的に恵まれている人が募金や寄付を行って富を分配するように、精神的・能力的に恵まれている人は恵まれていない人に対してある程度の分配をするべきだと思っています。

この考え方を「弱者を救済してあげる強者」みたいなスタンスであると捉えてある種の嫌悪感のようなものを抱く人もいるとは思うのですが、個人的には結構大切にしている信念の一つです。

こういう考えの元で、私は望まずに孤立してしまう人に対して話しかけたり交流をすることが多いのですが、今回は完全にそれが裏目に出たなと思っています。

 

今回の場合、私的にはA君は分配する相手であり、友達みたいな対等な関係ではありませんでした。

多分、私が人間関係の枠組みとして「友達」という枠組みしか持っていなかったら彼とは関わっていなかったし、今回の出来事も起きなかったと思います。

別にこのスタンス自体が悪いわけではないし、今回の出来事自体も別に悪いことだとは思っていない(偏見だけど、むしろゲイの世界ではよくあるんじゃないかな)です。

でも、こういう人間関係の歪みみたいなもので自分が疲弊したり、結果的に悪いことになるくらいならやらない方が良いのかなって思っています。

そういう点では、自分の中の価値観に少し揺らぎが生じた出来事でした。

 

 

・セックスに対する価値観的なもの

今回の出来事で「やってあげるセックス」を私は今後も絶対やらないだろうなって思いました。

上記の通り、私はA君に対して施しを与える人みたいなスタンスで関わっていました。

だから、もし今回のセックスの誘いを受けていたら私にとって「やりたいセックス」ってよりは「やってあげるセックス」になっていたと思います。

 

個人的な過去の経験に基づいた考え方ですが、「やってあげるセックス」はマジで自分にとって何もメリットを生み出さないので止めた方が良いと思います。

「相手に強く押されて結局折れてやっちゃった」みたいな経験を生きていると一度くらいはするものなのかもしれませんし、何回もしちゃってる人もいるのかなって思います。

私も今回、A君に結構強くプッシュされた&同情&性欲&etc...が原因でセックスするって可能性もあったのですが、なんだかんだハッキリと断ることが出来ました。

 

断るのってエネルギー使うし、断った人の方が何となく嫌な気持ちになっちゃうのはすごく分かるんですけど、自分の尊厳のためにも断るのは大事なんだなって思いました。

実際、もし今回セックスしていたとしたらセックス中も義務感でやってるだけで楽しくないし、セックス後も同意したことを後悔していたんじゃないかなって思います。

でも、今回断ったことに関しては全く後悔していません。その点ではA君には申し訳ないですが、本当に断って良かったと思います。

 

やっぱりセックスするなら「やりたいセックス」に限るし、やりたい人同士がマッチングして行うべきものなんだなって思いました。

じゃあどういう時に「やりたいセックス」になるのかと聞かれるとちょっとその条件はまだわかっていません。

ですが、少なくとも対等な関係で、かつ、お互いに自立した状態でないとやる気にならないというのは分かったような気がします。

 

 

以上、当日の勢いだけで愚痴的なものをだらだらと書きました。

こういう色恋沙汰の面倒くさいイベントには巻き込まれないタイプの人間だったのですが、今回初めてこういうことがあって、まあ色々な教訓になったのかなって思います。

 

いわゆる「モテる」ゲイの人たちはこういう経験をいっぱいしてるんだとしたら大変だろうなって思います。

少なくとも、自分的には何も生まれない非生産的な時間だったので、今後の人生においては起きて欲しくないタイプのイベントだなって思いました。

 

とりあえず、セックスしたくないって断られたときは、潔く諦めた方が良いと思います(自分への戒めも含めて)

あと、トイレでセックスしようとするのもマジで止めた方が良いと思う。

 

 

それでは、また。