ぱのこめの生活

20代のゲイ。主に、日々の生活や趣味などについて書きます。

同性愛を扱った小説『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』を読んだ感想

どうも、ぱのこめです。

今日はもうブログ書く気なかったんですけど、今読んでいた小説が最高だったので、読み終わってすぐの熱量で書こうと思いました。

今日は、『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』(通称: カノホモ)という小説の感想を書きます。

 

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◎あらすじ

同性愛者であることを隠して日々を過ごす男子高校生・安藤純は、同級生の女の子・三浦紗枝がいわゆる腐女子であることを知り、彼女と急接近する。異性を愛し、子を成し、家庭を築きたい。世間が「ふつう」と呼ぶ幸せを手に入れたい。少年の切実な願いと少女の純粋な想いが交わるとき、そこに生まれるものは―純粋でねじくれた想いが胸を打つ青春小説。

 

ぜひ直接書籍を買って読んでほしいので、多くは書きませんが、基本クローゼットで、かつそこそこ“普通”でありたい願望のある私にとっては、心にクリティカルヒットする良い作品でした。主人公の気持ちに共感する部分は多くあります。

 

また、読み終えたときに、このタイトルは「ゲイ」では成り立たないなって思いました。意図的に「ホモ」という蔑称が使われているだろうし、実際この本を読んだ後では、この本のタイトルは「ホモ」が適当な作品だと思いました。

自己肯定出来ていて、分かりやすいプライド的な存在としての「ゲイ」ではなく、同性愛がコンプレックスで、嫌で、“治し”たくて、“普通”に女性を愛して、子供を産んで、幸せな家庭を築きたいと考えている「ホモ」の話です。

 

もちろん、「そもそも蔑称なのだから意図的にでも使うことは許されない」っていう意見も分かるので何とも言えませんが、でもその批判はあくまで表面的なものであって、この物語自体は「ホモ」が「ゲイ」になる物語なので、同性愛者を否定する意味で「ホモ」を使っているわけではありません。

また、この「ホモ」が「ゲイ」に変わるというのが、当事者にとっての変化だけでなく、当事者の周囲にいる非当事者にとっても変化が起こるというのが、この物語の最大の特徴なのかなって気がします。

 

まあ、詳しくは是非読んでほしいと思います。衝撃的なシーンもありますので。私は泣きました。

 

◎読んだ感想

読んでいてまず思ったのは、作者は絶対に当事者だろうなと思いました。実際、調べたら今年の5月末にカミングアウトしてました。

 

https://kakuyomu.jp/users/Mark_UN/news/1177354054886019005

 

読んでいて前半部分ですぐに思いました。なぜなら、自身のセクシュアリティを十分に受け入れられてなくて、不安定で未熟で自己防衛的で斜に構えてる絶妙なゲイ高校生のメンタリティを、上手に描写出来すぎているからです。これ、もしも非当事者でここまで書けたら逆にすげえなって思います。

この描写が、自分が高校生・大学入りたてで悩んでいた頃の自分と重なって、すごい胸にギュッときたんですよね。自分はこの主人公の気持ちを乗り越えて今に至っている(と自分では思っている)ので、今ではもう忘れてしまっている色んな当時抱えていた色んな気持ちがあるのですが、そういうのを良い意味でも悪い意味でも全部思い出させてくれました。

 

以上のように、私が思ったこの小説の良いところは、丁寧な心理描写とリアリティ、そして主人公に対する過去の自分の投影と共感がほぼ全てです。そして、実際にストーリーを追いながらそれを直接感じて欲しいと思うので、内容についてあまり触れる事が出来ません笑

あんなことやこんなことや、割と衝撃的なイベントなど、色々あるのですが、まあどれも現実的に起きておかしくないかなって感じの内容です。ストーリーの組み立ても良いと思ったし、文章自体も読みやすく、かと言って薄っぺらい会話の応酬に終始してるなんてことも全くありません。

 

一つだけどうしてもマイナスだと思った小説内であるイベントがあり、それだけは現実味がとても薄く、なんか高校生が勢いだけに任せてやりそうな雑な解決策というか、根本的な解決には何もなってないし、私は読んでいる最中に「この人何やってるの...?」って置いてけぼりになってしまいました。

そのイベントについてはマジで納得出来ていませんが、それを除けばすごく良い小説だなって思いました。

 

◎印象的だった文章、セリフ

最後に、読んでいて印象的だった文章を載せて終わりにしたいと思います。

 

「真に恐るべきは、人間を簡単にする肩書きが一つ増えることだ。」

「人間は、自分が理解出来るように世界を簡単にしてしまうものなのさ。そして分かったことにする。だけど本当のことなんて、誰にも分かりはしない。」

 

病気だと言ってくれ。

原因のある疾患なんだと、治療をすれば治る病なんだと言ってくれ。

その為なら僕は、この腕の一本ぐらい、捧げても構わない。

 

「同性愛なんか気にしないとか口では言ったって、実際に明かされたら気になるに決まっている。同性愛者はそれを分かっているから打ち明けないんだろう。なのに、聞こえのいいことばかり言うのは卑怯じゃないか。俺たちは認めている。お前らが勝手に隠しているだけ。そういう風に、責任逃れしたいだけじゃないか」

 

 

以上、本の感想と紹介でした。

 

こういう本を時々は読んで、ゲイであることを自己否定していた時の気持ちを思い出した方が良い気がしています。

その行為自体は、ある意味ではノスタルジーに浸るようなものなのですが、その一方で、初心だったり当時の辛かった記憶をいつまでも忘れずに思い出すという行動でもあります。

 

最近『生産性』発言にまつわる問題などが取り沙汰される中で、「自分は今ゲイとして幸せに生きているから支援はいらない。」っていう主張を見かけました。

これを見て、まあ確かに今の自分にも支援が必要かと言われるといらない気もするのですが(権利は欲しい)、でも一方で昔の自分は全然そんなことなかったなって思うし、過去の自分と同じように現在苦しんでいる人も絶対存在していると思います。

そんな過去に苦しんでいた自分を救うっていう視点を失わないためにも、過去の薄れた辛い思い出を時々掘り返してしみじみしつつ、改めて問題意識として自分の中で持ち続けられたらなって思います。

 

そんな感じで、『生産性』問題にも関心を持ちつつ、良い感じの同性愛苦悩青春小説を読みつつと、同性愛についてよく考える2、3日でした。久しぶりで、ちょっと楽しかったです笑

 

それでは、また。