5年間の大学生活を振り返って
どうも、ぱのこめです。
先日卒業式が終わり、大学生活が終わりました。
そして、明日から社会人になります。
私は飛び級して大学院まで行ったので、結局5年間大学に在籍することになりました。
改めて大学入学から卒業までの大学生活を振り返ると、ありきたりな言葉ではありますが、とても充実した日々を過ごすことが出来たと思います。
この5年の間に、入学当時の私では想像も出来ないような出来事や決断、そして出会いがありました。
それらを経験した結果、今の私は入学当時の私とは明らかに異なる人間になったと思います。
その変化が成長か後退であるかは今の私には分かりませんが、何かしら前向きなものであることを信じています。
せっかくなので、今日は私の5年間の大学生活の中で印象に残っている4つの出来事を振り返っていこうと思います。
長くなりますがお付き合いください。
◎ 体育会ハンドボール部の退部
最初に紹介する出来事は、悪い意味で印象に残っているものです。
私は大学へ入学してすぐに体育会ハンドボール部に入部しましたが、2年生に上がるタイミングで退部しました。
小学校の頃からスポーツをやっていて中学・高校は運動部に所属していましたが、大学入学当初は、大学に入ってからも部活を続けることなんて全く考えていませんでした。
当時の私は、大学生らしく適当にいくつかのサークルに入って、4年間遊んで過ごそうと思っていた気がします。
でも、いくつかのスポーツ系サークルを見て回った結果、どのサークルもノリが合わなかったことに加えて、何かスポーツをするなら高校からやっていて好きなハンドボールを続けたいと思うようになりました。
その結果、最初は嫌厭してたハンドボール部に入部することになりました。
練習は週4回とそこまで多くなく、先輩たちがとても優しかったので最初は特に問題を感じていませんでした。
しかし、時間が経つにつれて同期の部員の人間性・協調性に問題があることに気づき始めます。
ここでは具体的に書きませんが、それが原因で同期内で対立が起こるようになり、それによって部活内の雰囲気はどんどん悪くなっていきました。
実は、私の学年の人数が私をいれても4人と非常に少なく、それにもかかわらず全員が仲良くなく、むしろ仲が悪くて対立しているというような状況でした。
そういう環境に嫌気がさして、最終的に私は2年生に学年が上がる前に退部することにしました。
私はこの経験をずっと大学生活における最大の汚点だと思っていました。
そう思っていた理由の1つは、最初に自分でやるって決めたことを自分の都合で撤回してしまったからです。
私は幸運にも、その時まで何かを途中で辞めるという経験をしたことがなくて、「最後までやりきることは良いことだ」「途中であきらめることは悪だ」という教育を熱心に受けていたので、途中で何かを辞めるということが苦痛で仕方ありませんでした。
また、それまでの投資が全て無駄になるような意思決定だったことも、その経験が汚点であるように感じていた理由の1つです。
ハンドボール部に入ったは良いものの、時間も体力もお金も費やしたのに結局何も成すことなく中途半端に辞めて、同期とは仲良くなれず、仲の良かった先輩には退部してから素っ気なくされて、結局1年間費やして自分の手元には何も残りませんでした。
結果論ではあるのですが、それなら最初からもう少し考えて別の団体に入れば良かったじゃんっていう後悔が強くて、だからこそ最近まではその過去を無かったことにしていました。
しかし、大学生活の終わりを目前に控えて、ハンドボール部にまつわる私の1年間の経験を振り返ると、今の自分が存在するためには必要な道のりだったのかなとも思えるようになりました。
たしかに、ハンドボール部に所属していた間の時間的・体力的・金銭的な消費が無駄に終わってしまったという事実は変わりません。
しかし、ハンドボール部を辞める時に、どうしても後ろめたい理由で辞めることに気が引けていた自分は、無理やり「自分は勉強に集中して飛び級コースに行きたいから辞める」という理由を作って辞めることになりました。
これは部活を辞めたい自分と、途中で辞めたくない自分の葛藤の末に生まれた言い訳でしたが、私自身はそれにまんまと騙されて、結局飛び級コースにくることになりました。
もし私がハンドボール部に入って辞めるという経験をしていなければ「部活の代わりに勉強を頑張る」という選択が行われておらず、結果として飛び級コースには来ていなかったと思います。
そのため、私の勉強の意欲を押し上げてくれたという意味では、ハンドボール部に入って途中で辞めるという経験にも少しくらいは感謝してもよいような気がします。
あとは、ハンドボール部を辞めたことで一度何かを辞めるという経験ができたことにも感謝しないといけない気がします。
これは、部活を辞めた後に待っていた「辞めて良かったと思えるようないくつかの経験」とセットになることで、私の中に「途中で何かを辞めるということに対する自信を生んでくれました。
そのおかげで、私は何かを辞めるということを比較的抵抗なく行えるようになり、その結果より良い決断が出来るようになっていると思います。
◎ セクマイサークルへの加入
次に紹介する出来事は、私の人生を変えたと言っても良いものです。
私は大学1年生の6月からセクマイサークルに入って活動をしていました。
高校生の頃からセクマイサークルの存在は知っていたのですが、私が入学した大学には存在していませんでした。
なので、最初は他大学にわざわざ行ってまでサークル活動するのはなぁ・・・と思っていて行くか迷っていたのですが、結局自分の大学の(セクマイとして生きるって意味での)環境が悪すぎたため、5月頃からセクマイサークルへ行くようになりました。
上述した通り、私は大学1年生の頃は体育会の部活に入っていたので、土日があまり自由に使えなくて、結果としてあまりサークルでの活動は出来ませんでした。
しかし、2年生に上がるタイミングで部活は辞めたので、そこから本格的にサークル活動に参加するようになり、最終的にはサークルの幹事を務めるまでになりました。
セクマイサークルが私の大学生活に及ぼした影響は計り知れません。言い尽くせないくらいたくさんの恩恵を受けたので、簡単に書こうと思います。
第一に、セクマイサークルは自分のセクシュアリティを早い段階で受け入れることが出来るきっかけを与えてくれました。
もしかしたら昔書いたことがあるかもしれませんが、高校生の頃の私は自分のことをバイセクシュアルだと思っていて、ゲイだとは思っていませんでした。
でも、そんな中途半端な感じではだめだ!と思った高校時代の私は、20歳の成人式の日までに、ノンケとして生きるかゲイとして生きるかを決めようと誓ったのです。
今となってはツッコミどころしかない誓いですが、当時の私は真剣に悩んでいて、ゲイの人たちがどうやって生活しているかについて、よくインターネットで調べたりしていました。
しかしセクマイサークルに入ると、今まで生活の中では会えなかったゲイの人たちがたくさんいて、色々な話を聞くことが出来ました。
たくさんのサークル生と性のあり方について話した結果、自分の性のあり方はバイセクシュアルじゃなくてゲイなんだろうなと思うようになりました。
そして、それを受け入れられたのも、周りにゲイと公言している先輩がいて、その人たちが自分にとってのロールモデルになり、ゲイとしてでも生きていけるって思えたことが大きかったんじゃないかなと思います。
第二に、セクマイサークルはいろんな人と知り合う機会を与えてくれました。
ゲイの人たちは、アプリやサークルを通じて、ノンケだったら多分出会ってなかったであろう多様な人たちと出会えることを実感していると思います。
ですが、私の感覚では、セクマイサークルはそれ以上に多様な人たちと出会う機会を与えてくれたような気がします。
大学、専攻、性のあり方が多様なのはもちろんのこと、本当にいろんなバックグラウンドや考え方を持っていて、みんなの話を聞くのが楽しかったです。
自分には理解や共感が出来ないような考え方をしている人とか、訳が分からない行動をする人とかもたくさんいましたが、そういうのも含めて面白い場所だったなあと思います。
例えるなら公立中学校みたいでした。
自分がもし「フツウ」に生きていたら関わることがなかったであろう人たちがいっぱいいて、そういう人たちと関わりながらサークル運営したのは良い経験になったと思います。
あと、色々な考え方とか行動をする人がいるってことが分かり、自分と違う部分が多い人に対しても上手く接することが出来るようになった気がします。
第三に、セクマイサークルに入ったおかげで友人・恋人を作ることが出来ました。
大学生の間に遊んでいたのは、ほとんどがこのセクマイサークルの人たちでした。
サークルを介して同じ大学の人ともたくさん出会えて、特に同じ学年・同じ学部だった友達とはずっと一緒に授業を受けていました。
彼がいなかったら授業とか休み時間は一人で居たか、他の友達と無理して一緒に居たりして、結構辛かったと思います。
また、私が5年間の大学生活の間に付き合ったのは2人ですが、そのどちらもセクマイサークルで知り合った人でした。
前の恋人は1年弱で別れてしまいましたが、今の恋人とは今年の5月で4年になります。
特に、今の恋人は大学生活の半分以上を一緒に過ごしていて、彼と付き合っていなかったら全く違う大学生活になっていただろうなと思います。
アプリやその他出会いの場を介して知り合いになるのが苦手な自分としては、セクマイサークルという出会いの場があったことは本当に助かりました。
以上のような恩恵を得られたことで、自分のことを肯定できるようになったことが一番大きかったと思います。
大学2年生くらいまではずっとモヤモヤしていたり、自分のあり方について否定的な面があったのですが、気づいたらそれが無くなっていました。
セクマイサークルはここには書いていないようなネガティブな側面もたくさんありましたが、私にとってはそれ以上にポジティブな影響を強く与えてくれる組織でした。
大学生の早いうちに加入することが出来て良かったと、心の底から思います。
◎ オーストラリアへの留学
次に紹介する出来事は、オーストラリアへの留学です。
留学と言っても、2か月弱しかいなかったので長期の旅行みたいな感じですが笑
人生で2番目に高い買い物(1番目は大学進学)でしたが、本当に行って良かったなと思います。
詳細については過去のブログで書いたので、興味があればそれをご覧ください。
オーストラリアのシドニーに大学2年生の1月から3月にかけて行っていました。
この留学は本当に楽しかったし、この留学のおかげで海外に対する恐怖心とか英語に対する嫌悪感みたいなものが無くなった気がします。
高校生の頃は英語の勉強が一番嫌いで、海外に行きたいなんて全く思っていませんでした。洋画も洋楽も全然好きじゃないし、それは今でも変わっていません。
でも、今は仕事で何年間かは海外に駐在したいと思えるようになったし、そのために春休み中は毎日1時間くらい英語の勉強もしていました。
価値観が変わったって意味では、この出来事が一番大きいと思います。
◎ MBAへの進学
次に紹介する出来事は、大学入学当初の私では想像もつかないものです。
ハンドボール部退部の話をするところで書きましたが、当時の私は何とかして部活を途中でやめたという汚点を帳消しにできるようなことを成し遂げたいと思ってこの意思決定をしました。
もちろん、進学を明確に決めた(願書を提出した)時は「学部の授業では足りなかったから、もっと深く勉強がしたい」&「まだ就職の準備が出来ていないから先延ばししたい」という全く別の目的をもって志願していましたが、志望するきっかけはハンドボール部を退部したことにありました。
あんまり勉強のことについて書いても読む人いないだろうなと思って、このブログではあまり学習面については触れていませんでしたが、個人的には大学院へ行ってめちゃくちゃ良かったと思っています。
大学院での生活を通じて、自分はやっぱり勉強が好きなんだなあと思いました。特に、何か新しい知を生み出すというよりも、明らかになっている知識について学ぶ方ですね。
特に、私が学んでいたのは経営学という実学よりの学問だったので、学んだ知識を実際の社会に当てはめたり、実生活に生かせるときが一番ワクワクしました。
あとは、煩雑で分かりづらい現実をフレームワークを使って明瞭にしていく作業もやっていて気持ちよかったです。
理論的なことと実践的なことのどちらもたくさんのことを学んで、意思決定する際の材料や武器みたいなものをたくさん得ることが出来ました。
それに加えて、周りの学生のレベルが非常に高くてたくさんの刺激を得ながら勉強が出来たことも良かったです。
新卒の学生はもちろんレベルが高かったですし、社会人の人たちもやる気や経験が豊富でディスカッションなどの意見は非常にためになりました。
私より10歳~20歳くらい年上の人もいっぱいいて、そういう人たちと対等な立場で意見交換したり、アドバイスし合ったりすることはなかなか出来ないことだと思うので、そういう経験が出来たことも良かったと思います。
実は、大学院の勉強を通じて、経営学とは直接関係あるような、ないような問いに対して強い興味を抱くようになりました。
ここでは詳しく書かないのですが、もしかしたらその問いに関する研究がしたくなるかもしれないので、そうしたらまた大学院へ戻るようなこともあるのかなと思います。
その時は経済学系か心理学系になるのかなーって気がしていますが、その研究自体はビジネスとはあんまり関係なくて、キャリアアップとかにはつながらないような内容なので、キャリアを考えるとリスクも大きいかなって思いもあります。
まあ、実際に大学院に戻ることになるかはまだ分かりませんが、少なくともそういうことも選択肢に入れられるようになったというのは、大学院に進学したおかげです。
そういう意味でも、漠然とではありますが、大学院での学習は私の人生をより豊かにしてくれたんじゃないかなと感じます。
以上、長くなりましたが、私の大学生活において重要だった4つの出来事について書かせていただきました。
他にも書きたい出来事はいくつもあった(一橋大学アウティング事件とか、ゲイの登山サークルに加入した話など)のですが、ちょっと文字数とか時間の関係で今回は割愛しました。
この5年間は本当に楽しくて、暇だと思う瞬間は一度もありませんでした。
いつも何かやりたいこと・やらないといけないことを抱えて、時間に追われながら生活をしていましたが、多分それが充実していたってことなんだと思います。
明日から社会人生活が始まることにまだ実感は湧かないけど、ぼちぼち頑張ろうと思います。
今までありがとうございました。
そして、これからもよろしくお願いします。
それでは、また。